『ジョジョの奇妙な冒険 第六部』解説あらすじ

荒木飛呂彦

始めに

始めに

今日は『ジョジョの奇妙な冒険 第六部』レビューを書いていきます。

スタイル、演出、背景知識

年代記

 シリーズを特徴付けるのは、年代記としてのデザインです。

 年代記としてのデザインはスタインべック『エデンの東』の影響が知られ、さながらゾラ(『居酒屋』『ナナ』)のルーゴン・マッカール叢書のように、特定の血族の変遷を追いかけていきます。

 主人公となるのはジョースター家の血を引き継ぐキャラクターたちで、それがディオの系譜を継ぐキャラクターと死闘を繰り広げます。

伝奇アクション、スタンド(召喚魔術)

 また、ジョジョというシリーズを特徴づけるのは、三部から登場する幽波紋(スタンド)です。これは守護霊のような存在で、これを召喚、使役し戦うのがこのシリーズの特徴になっています。山田風太郎『魔界転生』、横山光輝『バビル二世』と並んで、バトル漫画に召喚というバリエーションを決定的な存在とした作品です。

シリーズの中でも失敗作

 本作品はシリーズ(1.2.3.4.5.6.7.8)の中でも評判が悪く、私も終盤の展開に関しては好印象なのですが、本作は完成度が低いと思っています。なぜかというと、本作はスタンドバトルがなんでもありになってしまっています。

 3部に関する記事で書きましたが、バトル漫画に期待されるのは特定のモチーフから膨らまされるアクションの機知と、相手の特性を分析した上での戦略的コミュニケーションに見える機知だと思っています。例えば四部のボス吉良吉影は爆弾というクイーンの曲から取ったモチーフから膨らませられるアクションの機知が見どころでした。

 ところが本作のボス・プッチ神父のスタンドであるホワイトスネイクは、対象から記憶と能力のDISCを奪い取るという能力に付随して催眠術や相手を溶かすといった、DISCとはあまり関係のないアクションが多いです。また、最初のプッチ神父との戦いにしても、催眠術という能力を加えたことで『NARUTO』の幻術のような感じで、「状況Aを打開しなくてはいけない」という問いに対するアンサーとして実は夢でしたが連発するので、そこに戦略性の既知を読み取れません。

終盤の展開は好印象

 一方で終盤のプッチ神父との戦いを描く展開は好印象です。プッチ神父という存在自体は興味深く、ロックカルチャーにおける自己絶対化を体現するような存在で、過去の自己の過ちを受け入れることができずに正当化しようとし、そのために多くの関係ない人間の命をも奪います。生の哲学であるところのロックカルチャーの負の側面の文化を体現するものといえるでしょう。 

終盤は特に、DIOという悪の意志を継ぐプッチ神父と、ジョースターの正義の意志を継ぐものたちの戦いが見どころになっています。また、単純にバトル漫画としても終盤のプッチ神父のスタンドであるメイド=イン=ヘブンとの戦いは、超高速で移動するプッチにどう対抗するかという戦略の機知が身がたえあります。

物語世界

あらすじ

 2011年のアメリカ・フロリダ州。空条承太郎の娘・空条徐倫は轢き逃げ犯として、州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所へ収監されます。スタンド能力に目覚めた徐倫は、なんとか目前の危機を乗り切っていきます。

 面会に訪れた承太郎は、徐倫の収監がDIOの残党によって仕組まれた陰謀だと告げ、脱獄を促します。そこに謎のスタンド「ホワイトスネイク」が現れ、承太郎から「記憶」と「スタンド能力」をDISC化して奪い去ります。徐倫は承太郎のDISCを取り戻すため、同刑務所内で出会った少年・エンポリオ=アルニーニョや他の囚人たちと共闘していきます。

コメント

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました