RE:4の元ネタ?!岩明均『寄生獣』解説あらすじ

1990年代解説

始めに

バイオハザードRE:4』が発売されましたが、そのネタ元はあからさまに『寄生獣』です。今回はそんな不幸な(?)漫画について語っていきたいと思います。

スタイル、背景知識

伝奇もの。寄生虫ホラー、擬態ホラー

 岩明均は伝奇(『七夕の国』)などのSF風の作品が多い作家です。本作も『遊星よりの物体X』『エイリアン』のような寄生虫ホラーになっています。

 また人間になりすます存在の恐怖を描くという点では吸血鬼ホラーと重なります。

少ない線、リアリスティックな語り口

  岩明均の漫画の特徴として、線の少ないシンプルな画風が挙げられます。ちょっとドライでオフビートな作品のムードは、シリアスだったり過激なバイオレンスだったりをほどよく和らげています。

  しかし全体的に背景に描きこみが少なくないです。ファッションもこじゃれてはいないものです。ちょっとがっかり…。

焦点化など

  もっぱら視点人物は主人公・泉新一が担うことになります。モノローグは後半にかけて増える印象です。人物の行動に見える端正な心理描写が目立ちます。

物理主義からの倫理の基礎づけ

 最初は設定やテーマ(「悪魔とは人間」)からして永井『デビルマン』の亜流のようでしたが、作品が展開する中で、それとテーマとしての差別化が図られていきます。

  この作品のテーマは、ダニエル=デネットの哲学に代表されるような、物理一元論的な世界観における、ヒューマニズムの試みです。新一とミギーは交流を通じて、情動に根差す価値的世界のなかでの実践を評価するようになっていきます。

  最強の敵、後藤との戦いの場面で、新一を最後に助けたのが人間の倫理的実践を可能にするための高次の表象能力だったのは印象的です。それが思いがけない行動変容をもたらし、後藤に致命傷を与えるのです。これは本作にオマージュを捧げた『HUNTER×HUNTER』のキメラアント編のウルウェンのコムギを巡るメルエムとのやり取りとも共通します。

 後藤は経済、科学を含めた、人間の価値的世界のなかでの実践、文化的学習、その歴史的蓄積としての文化進化の前に破れたのでした。

規範や個人の選考や信念の洗練可能性に見える希望

  新一は異なるものたるミギーとの交流のなかで自分の価値的信念を洗練させ、それが後藤を殺すべきか、否かという問いに繋がります。

 それは恐らく、殺すことも瀕死の後藤を前にその場をただ後にすることも、それ自体で善い行為のないダブルバインドであって、誰にも新一という個人を咎める権利はないのでしょう。

 新一が最後に出した結論は、動物虐待や動物搾取など、種差別という不正義の蔓延を目にする今日においてどん詰まりのような印象をも生みます。けれども、新一がミギーや死んだ子犬に対して抱いた倫理的配慮の成立は、それに仄かな希望を与えています後藤は人間の社会的活動総体の前に圧倒されましたが、価値的世界のなかでの実践の歴史的蓄積のなかで、規範的価値観の洗練の可能性がここに現れていると言えます。

動物倫理や規範倫理との親和性

 物語は動物倫理的な方向に開かれていると個人的に思います。

 確かに同種であれ異種であれ、認識論的基盤や知識的制約によって理解のレベルには限界があるけど、そこから人間に固有の高次の推論、表象能力に由来して種を超えた共感や配慮が可能になっていて、だから新一はミギーや間宮と、選好や信念などの前提になる認識論的な基盤を完全に共有しなくてもあるレベルで分かり合えたし、死んだ犬の扱いなどほかの生の主体としての動物への配慮をめぐるエピソードもそれが基盤になっているのです。

 作中で人間の物差しでほかの生き物の幸福や経験を分かった気になるのは”うぬぼれ”とはされるけれど、それは例えばヌスバウム的な動物種の幸福を考える徳倫理の限界についての批判とはなるかもしれないものの、それを受け止めても”得体は知れなくとも尊敬すべき同居人”であるほかの動物種を権利や道徳的配慮の主体として規範倫理に包摂すること(分かることはできなくても尊重すること)は矛盾しないとは思います。

 作品は道徳についてその構成的な次元とそれが実践的合理性に基盤を持つことを示唆して道徳をあるレベルでメタ的に捉えるものの、むしろ価値的世界に内在してそこから起こる実践を積極的に肯定する感じだから、一概にエモーティビズムや錯誤理論的な反実在論的な道徳相対主義にテクストを解釈するのも合理的とは言えません。

 むしろテクストに内在して主題を捉えようとすると、人間の認識論的基盤の限界を語りつつもそのなかでのミームの進化、文化進化(科学だけでなく道徳の洗練プロセスも含む)や利他的行動・規範的実践を、価値的世界に立脚することで肯定的に捉えていく感じだから、そこから規範倫理や道徳共同体の規範の洗練プロセスから動物倫理に至る道を見つけることはできる気がします。作中でなんども種の認識論的基盤に制約されつつも、種を超えた理解や承認、配慮が描かれています。

パラサイトとタコ?

 本作ではパラサイトの心についても描かれ、それが人間と対比されていきます。パラサイトと近い認知システムを持つ動物がいて、それはタコです。蛇足的でもありますが、少しそれについて書いていきます。

 タコは分散型の神経ネットワークのなかで高度に自律した局所的な統合的モジュールと最上位の統合的システムからのトップダウン的制御で認知システムを構成する感じで、進化的収斂の特異な事例だけど、比較心理学や運動知性を考えるスタンスからすると興味深く、『寄生獣』のパラサイトと似ます。

 パラサイトと違って、タコのトップダウン的統合システムは脊椎動物の前頭葉的な自己意識やメタ認知を担う構造ではなくて、統合的制御はあるものの自己参照的統制、メタ認知や高度な自己表象機能はない感じです。

『寄生獣』だと、パラサイトは神経中枢がトップダウン的統御を自律的な細胞に対してするものの、毒物への刺激に対して細胞が別の最適化アルゴリズムで回避的に動くと統合的処理がうまくいかなくなる描写があります。

 タコだと強く統合が指向されないし、トップダウン的処理とボトムアップ的処理のフィードバック的協業が高度で環境に対してフレーム問題的なエラーに陥りにくい洗練された運動知能を持っていて、両者が対立的になりにくいです。

 トップダウンの統合指向が強いシステムでは、全体的な一貫性を保つために「世界モデル」を前提とする必要があり、それが更新されないとフレーム問題(状況の非同期・想定外の反応)を引き起こします。人間の精神疾患や、健常者でも日常的に経験する直感と熟慮的推論の対立もそれと近かったりします。

 タコのような局所最適・動的協調モデルだと、世界のすべてを表象せずに済むため、計算負荷が抑えられていて、リアルタイム適応性が高いです。

 まとめると、パラサイトの心は運動知能の点ではタコと似ているものの、強いトップダウン的統合的指向性を持つために人間ともかなり重なる統合的処理のマネジメントエラーが想定されるものになっています。

フィクション世界

あらすじ

  ある日突然、空から多数の正体不明の生物が落ちてきます。その生物は人間の頭に侵入し、脳を含めた頭部全体と置き換わり寄生して全身を支配し、他の人間を捕食します。寄生後の頭部は、人間の顔に擬態することができる上に、刃物や鞭のようにもなり、数名以上の人間を一瞬で切り裂きます。さらにこの「パラサイト」は、高い学習能力で知識や言葉を獲得し、人間社会に紛れ込みます。

 平凡な高校生であった泉新一は、1匹のパラサイトに寄生されるものの、頭部への侵入は免れます。パラサイトは新一の右腕に寄生し、右手と置き換わります。右手にちなんで「ミギー」を名乗りだし、共生生活が始まります。その頃、他のパラサイトによる捕食が世界中で頻発するものの、犯人不明の同時多発殺人事件とされます。
 新一は真実を明かさなくても良いのか葛藤します。ミギーは保身のみを考え、宿主である新一以外の人命には興味がなく、真相を明かそうとするなら新一に危害を加えると脅します。その一方で、新一が死ねば自分も死ぬためミギーは、必要であれば同類のパラサイトをも殺します。

 しかし、新一とミギーの関係は他のパラサイトから警戒されます。ある日、新一の高校にパラサイト「田宮良子」が高校教師として赴任します。その後、新一を危険視した彼女の仲間のパラサイトAが学校を襲い、教師や生徒たちを惨殺します。新一に撃退されたAは、田宮良子からトドメを刺されます。その後、田宮は未婚なのに妊娠したため責任を問われ、学校から去ります。

 やがて新一の母親は、宿主を探していたパラサイトに旅先で殺害され、寄生されます。新一は、自宅に現れた 母の姿をした パラサイトに動揺し、心臓を刺し貫かれて致命傷を負うものほ、ミギーが新一の体内に入って心臓を動かしつつ体の修復をして蘇生します。

 その際、ミギーの細胞が拡散した影響で超人的な身体能力を獲得した新一は、母親を乗っ取ったパラサイトと再会して倒します。
 新一の変化は精神にも現れ、冷酷さを身に着けます。一方、ミギーは新一との交流を通じて次第に人間の価値観を理解します。新一のガールフレンドの村野里美は、新一の劇的な変化と変わらない優しさに困惑します。

 その後、島田秀雄と名乗る男子高校生のパラサイトが、新一の高校に転校します。新一のクラスの裕子は、島田が人間ではないことを知り、襲ってきた島田に塩酸を投げつけたため、島田は暴走状態となり教師や生徒たちを襲い、学校はパニック状態となります。

 新一は遠距離からの投石で、島田の胸を撃ち抜いて殺します。この事件により、パラサイトの検体が警察組織の手に渡り、パラサイトが人間を食い殺していると判明します。

 以前から新一に興味をもっていた加奈は、パラサイトの波長を感じ取れる能力を持っていたことから、新一の波長だと誤ってパラサイトに近づき殺害されます。

 その頃、新一の住む土地の隣町では、パラサイトが地球の環境に調和をもたらす救世主と考える政治家の広川剛志が市長になり、パラサイトたちのリーダーになります。学校を去り「田村玲子」と名を変えていた「田宮良子」は広川に協力しつつも、赤ん坊を出産し、生殖能力を持たないパラサイトのアイデンティティーについて悩みます。
「田村玲子」は新一とミギーの存在を、パラサイトたちの今後の指針となると考え、他のパラサイトや人間を調査に差し向けます。

 やがて新一は広川のグループと対決する決意を固めます。また、「田村玲子」も独自の思想を他のパラサイトから警戒され、広川のグループを追われます。「田村玲子」を敵とみなしたパラサイトたちは彼女をリンチするものほ、返り討ちにされます。
 その後、パラサイトに家族を殺害された興信所員の倉森に、田村は赤ん坊を誘拐されます。赤ん坊を取り戻そうとした田村は警察に包囲されて正体を暴かれ、射撃を受けるものの反撃せず、思索の末に出した「一パラサイトとしての結論」を新一に告げ、赤ん坊を託して死にます。

 一連の事件を経て、すでにパラサイトの存在は警察や自衛隊に知られ、広川たちの拠点である市庁舎への掃討作戦が計画されます。新一はミギーに寄生されていることを隠しつつも、パラサイトと遭遇してきた経歴を買われ、さらにもうひとりの協力者で、快楽殺人者でありつつ、人間とパラサイトを判別する超能力を持った浦上と作戦に同行します。
 作戦により市庁舎にいたパラサイトたちの大半は駆除されます。広川は敗北を悟ると、自衛隊員たちに対し、地球環境を汚染する人間は地球を食い物にする「寄生獣」と演説するものほ、自衛隊に射殺されます。
 自衛隊員たちはパラサイトの首魁とみなしていた広川が人間だったことに困惑するものの、その直後、頭と四肢に合計5体が融合したパラサイト「後藤」に襲撃されて全滅します。

 「後藤」は因縁のあった新一とミギーを宿敵と見なし、再戦を宣言します。また、浦上は混乱に乗じて監視役を殺害し、現場から逃走しました。

 新一とミギーは「後藤」から戦いを挑まれて逃げ回り、ミギーは新一を逃走させるための犠牲となって「後藤」に取り込まれます。新一は失ったミギーの存在から失意に暮れるものの、逃走先で老女に助けられ、再戦を決意します。
 新一は不法投棄されていた有毒な産業廃棄物を武器にして反撃し、ミギーを取り戻して逆転します。

 勝利した新一は、生き延びようとする「後藤」の姿に心を動かされてとどめを躊躇するものの、最終的には殺します。
 広川の一件をきっかけにパラサイトたちは表立った行動を控えるようになり、ミギーは「後藤」との融合で得た経験から、思索のための長い眠りにつくことを宣言し、普通の右手になります。
 1年後、新一は里美との交際を続けています。そんな中、逃走していた浦上が再び現れます。新一がパラサイトと関わりがあることを見抜いていた浦上は、里美を人質に新一をビルの屋上に呼びます。
 浦上は快楽殺人者である自分こそ人間の本質の体現者だと話し、人間とパラサイトの中間的存在である新一からの同意を求めます。里美は浦上の主張を一蹴します。

 目の前で屋上から突き落とされた里美を救おうと、新一は素早く浦上を倒し、ビルから落下する里美へ手を伸ばすものの、間に合わないのでした。
 絶望する新一だったが、なぜか新一の右腕は里美を掴んでおり、眠っていたはずのミギーが助けてくれたことに新一は感謝します。

登場人物

  • 泉新一:主人公。能天気な性格ですが、家族の死や、ミギーの細胞を受け入れたことで人格が変化していき…
  • ミギー:パラサイト。新一の右手に寄生します。向学心が強く、人間社会に興味を持ちます。

関連作品、関連おすすめ作品

・貴志祐介『天使の囀り』、黒沢清監督『DOOR3』:寄生虫ホラー

・『仮面ライダーオーズ』:人間の情動に根差す価値的実践を評価。

・『HUNTER×HUNTER』:制度のなかでの人間の戦略的コミュニケーションの実践。倫理的実践。

・ドン=シーゲル監督『ボディ=スナッチャー/恐怖の街』:擬態ホラー

参考文献

信原幸弘『情動の哲学入門』(頸草書房.2017)

戸田山和久『哲学入門』(筑摩書房.2015)

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