つげ義春『山椒魚』解説あらすじ

1960年代

始めに

つげ義春『山椒魚』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、作風

『ガロ』

 つげ義春は『ガロ』を代表する漫画です。

 『月刊漫画ガロ』は、1964年から2002年頃まで青林堂が刊行していた漫画雑誌です。内容としてはリアリズムやシュルレアリスム、マルクス主義を作品に取り入れたり、文学や絵画など既存の芸術と交錯するような形で独創的世界を展開していきました。

 つげ義春は、白戸三平、永島慎二と並び、ガロを代表する漫画家で、私小説、シュルレアリスム、象徴主義など種々の小説ジャンルを参照しつつ、独自の世界を展開していきました。

 本作も、井伏「山椒魚」などからの影響が見えます。

井伏「山椒魚」

 井伏「山椒魚」はチェーホフの短編「賭」から着想を得ています。
 人間の絶望から悟りへの道程を書こうとして、「山椒魚」は書かれ、悟りにはいろうとして、はいれなかった山椒魚を描こうとします。

 「山椒魚」では、谷川の岩屋をねぐらにしていた山椒魚は、あるとき自分が岩屋の外に出られなくなっていることに気がつきます。どうやっても出られず、絶望の中で「悪党」になった山椒魚は、ある日、岩屋に飛び込んできた蛙を閉じ込めます。どちらも外に出られず、反目しあったまま1年が過ぎ、2年が過ぎます。最終的な展開は、版によって違い、よく知られたものでは、蛙が山椒魚を許して和解で結ばれるものの、最終的なバージョンではその和解は省かれていて、山椒魚の成長や悟りが否定されます。

つげ「山椒魚」

 つげの本作は、山椒魚を主人公とする内容ではあるものの、井伏「山椒魚」とは趣はかなり異なります。

 本作は、下水に入り込み、そこで暮らすようになった山椒魚の話です。食べ物もなく、犬や猫の死骸の流れ込む下水に最初は馴染めなかったものの、次第に汚水に適応し、体質が変化し、体も3倍くらい大きくなり、全く別の生き物に生まれ変わったようになります。そして下水を自分の住処と思い、悠々自適に過ごします。日々、上流から見慣れないものが流れてくるのを楽しみにし、終盤では人間の胎児の死体が流れてくるものの何か分からずじまいでした。今後も何が流れてくるか楽しみに待つ山椒魚のモノローグで物語は締められます。

 このように、本作は物語らしい因果や、くっきりした主題は希薄で、下水に紛れ込み、そこに適応した山椒魚の享楽的な姿と、胎児が下水に捨てられているという現実の不条理なさまを山椒魚の視点から描くというコンセプトです。

物語世界

あらすじ

「俺がどうしてこんな処に棲むようになったのかわからない」という一匹の山椒魚の物語。濁った水のせいか、それ以前の記憶をなくしています。

 食べ物もなく、犬や猫の死骸の流れ込む下水に最初は馴染めなかったものの、次第に汚水の環境に快感さえ覚えます。体質が変化し、体も3倍くらい大きくなり、全く別の生き物に生まれ変わったようになります。下水を自分の住処と思い、悠々自適に過ごします。日々、上流から見慣れないものが流れ、退屈することもありません。

 そんな山椒魚の前に、ある日、謎の物体が流れてきます。それは人間の胎児ですが、山椒魚には分からず、腹を立て頭突きを食らわせます。

 「明日はどんなものが流れてくるのか それを思うと俺は愉しくてしようがないんだ」と、最後に語る山椒魚でした。

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