はじめに
大友克洋『童夢』解説あらすじを書いていきます。
演出、背景知識
メビウス流のリアリズム
大友克洋といえば、その圧倒的に緻密なリアリズムが特徴です。バンドデシネのメビウスなどからの影響が顕著で、迫力には圧倒されます。
フォロワーの吉田秋生(『BANANA FISH』)などはもっと少ない端正な線で描写しますが、大友の背景などの描き込みは本当に圧巻です。筆力という点では宮崎駿に匹敵する才能です。
ニューエイジSF
本作はニューエイジ思想の影響が大きいです。
ニューエイジは近代のオカルティズムで、神智学や心霊主義をルーツにし、人間の潜在能力の無限の可能性の強調、宇宙などの大いなるものとのつながり、個人の霊性の向上、汎神論、エコロジー思想などを特徴とします。
タイトルになっている童夢とは、超能力によるシリアル・キラーである老人チョウさんとその力を主に示します。チョウさんは老人ですが、ボケているために幼児退行のような状態にあります。そして、子供のような無邪気な残酷さから、団地に住まう人たちを手にかけていきます。
サイコホラー
本作は、デヴィッド=リンチ監督が映画化しようとしていたりと、全体的にサイコホラーとしての性質が強いです。
テイストとしては映画『ザ・チャイルド』のように、子供(といっても、認知症で子供のようになった老人ですが)の無邪気な狂気と残酷さを描くホラーで、それに超能力要素を加えています。
また、映画『オーメン』の神父と悪魔の対決のように、本作では悪魔のような残酷さで悪魔的世界を展開するチョウさんと、それに対抗する悦子の対決が描かれます。
物語世界
あらすじ
「堤団地」というマンモス団地では不審な死亡事件が連続し、警察の捜査は山川部長が指揮しますが、未解決のままです。
ある夜、団地を巡回していた巡査2名のうち1名が屋上から転落死し、拳銃が紛失します。
別の夜、山川は団地にいて、自分を嘲笑する声を聞きます。声を追って団地の屋上に至ると、団地に住む老人「チョウさん」が空中に浮遊した状態で現れ、「そうだよ ボクだよ」と言い、山川も犠牲者となります。
悦子の一家が団地に引っ越してきた日、チョウさんは幼児をベランダから転落させようとします。悦子はそれを阻止し、犯人がチョウさんだと気が付きます。悦子もまた超能力者で、チョウさんと対立します。
悦子は隣人・吉川ひろし、「ヨッちゃん」と呼ばれる藤山良夫などと親しくなります。
警察では山川の後任として岡村部長が着任します。あるとき団地の住人である浪人生・佐々木勉がチョウさんに操られカッターナイフで悦子に襲いかかります。佐々木は悦子の目の前で自分の首を切ってしまいます。悦子は佐々木を能力で止めるものの、ショックから団地の診療所に収容されます。チョウさんは転落死した巡査から奪った拳銃を吉川ひろしの父に与えます。
高山刑事は捜査のためシャーマンの野々村を訪ね、二人は団地へ向かいます。悦子は屋外のベンチに座っているチョウさんを能力で牽制します。野々村はおびえ、高山に「子供に気をつけなさい」と告げ、逃げだします。
夜、吉川ひろしの父が団地の子供を射殺し、それから悦子のいる診療所に侵入します。悦子はひろしの父を倒し、彼を操るチョウさんと対決しようとその場をあとにします。ひろしの父はそこに居合わせたひろしとヨッちゃんを撃つものの、激昂したヨッちゃんに惨殺されます。
チョウさんと悦子は宙に浮き、団地の上空で超能力で戦います。チョウさんをしかる悦子に、チョウさんは「今迄僕一人で遊んでたのに」とこぼします。
チョウさんが起こした団地のガス爆発や、吉川ひろしとヨッちゃんの死を知り、怒りに支配された悦子は壁を陥没させ、人体を破壊しながらチョウさんを追い詰めます。
逃げ惑うチョウさんは建物の外に這い出し、悦子も泣きながら後を追うものの、悦子の母が悦子を見つけ、ふたりは抱き合います。悦子も我を取り戻し、事態は収束します。
二週間後の警察の記者会見の日、ケガから復帰した高山刑事はチョウさんに面会し、野々村が言った「子供」とは、実はチョウさんのことだと悟ります。チョウさんは行き先の養老院が決まるまで、団地に戻ります。
春のある平穏な日、団地に、京都の母親の実家にいるはずの悦子が現れます。高山刑事はチョウさんが座るベンチの近くにいて、チョウさんの杖が破裂するのを見ます。悦子は、チョウさん達がいるのとは別の団地でブランコをこいでいます。団地の子どもたちだけがそれを見つめています。
チョウさんは力尽き、絶命する。ブランコのそばにいた子供が誰もいないブランコを指し「お姉ちゃんが消えちゃったよォ」と言う。
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