藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』解説あらすじ

1960年代
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始めに

 藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、作風

異世界冒険譚

 本作はスウィフト『ガリヴァー旅行記』などのような、異世界ものの冒険譚になっています。

 『ガリヴァー旅行記』はガリヴァーの異世界の旅行という冒険を通じて、当時のイギリスの情勢を風刺する政治パンフレットでした。

 『ガリヴァー旅行記』でも第四篇にて、言葉を話す馬の種族であるフウイヌムの地での冒険が描かれ、彼らは人間に似たヤフーを従属させています。

 本作は『ミノタウロスの皿』においても同様に、ウシと人類の立場が逆転したイノックス星における主人公の冒険を描きます。

ラストの展開が示すもの

 物語においては、主人公はヒロインでウスのミノアに惹かれ、家畜として食される運命にある彼女を救おうとします。しかし、彼女は食肉になることを望んでおり、周囲のズン類たちも、主人公の主張がまったく理解できません。

 ここにおいてモラルや慣習の相対性と、それがその中に生きるエージェントの認識や選好、信念を制約することを描いています。我々も、普段動物を当たり前にしていますが、冷静に考えるとなぜ動物を殺して食べていいのかという疑問が湧いてきますし、今日では動物倫理も広まり、その正義の正当性が浸透しつつあります。

 最後において、主人公はミノアを救い出すことに失敗し、自分は帰還する宇宙船のなかでステーキを頬張ります。ミノアを自分たちにとって都合のいい存在としてしか捉えず支配していたズン類と、結局主人公は何一つ変わりません。手前勝手な理屈で相手を支配して、その事実すら透明にして忘却しています。イノックス星にも見えるように、宗教的崇高、慣習で為政者に都合よく対象を支配するという構造は、人類の歴史に於いても一般的に見られました。

 主人公がミノアを助けようとしたのは、それはただ彼女が美しく、また人類に似ているからに過ぎませんでした。主人公も地球では同じように牛など家畜を支配して管理し、それを当然のこととして受け止めているのでした。別に主人公のやっていることは一貫した正義に根ざすものではなく、慣習にしたがって、なんとなく利他的に振る舞い、なんとなく加害をしているに過ぎません。

物語世界

あらすじ

 宇宙船の故障で遭難し水と食糧が尽き仲間が全員死亡するなかイノックス星に緊急着陸した主人公の男は、美しい少女ミノアに救出されます。

 ミノアと丘や水辺で過ごします。しかし、その星は地球の牛に酷似した種族(ズン類)が支配する世界でした。ズン類は地球の人間に酷似した種族(ウス)を家畜とします。ミノアは血統のすぐれた肉用種で、大祭の祝宴の大皿にのる最高の栄誉「ミノタウロスの皿」に選ばれていました。

 驚いた主人公はミノアに地球への逃走を提案するものの食べられることを喜ぶ彼女は断ります。主人公はズン類の有力者たちを説得しますが、まるで話が通じません。

 大祭の当日。祝宴のさなか、光線銃を構えながら主人公は泣き叫びミノアに呼びかけるものの、ミノアには会場の狂騒のなかで彼がなんと言っているのかすらわからないのでした。

 迎えのロケットの中、主人公は待望のステーキをほおばりながら泣きました。

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